PROFILE

早稲田 ひとみ

1967年 岡山市生まれ

正看護師・第1種安全衛生管理者

ヘルスカウンセラー・ソーシャルスキルコーチ

 幼い頃から病弱で3歳の頃病気で命を落としかけるが奇跡的に一命をとりとめる。

小5で手術をしてやっと完治するまでは度重なる高熱で学校は休みがちだったことから元気になるまでは勉強もスポーツもできないと思い込み自信がなく、学校に居場所がないと感じていた。しかも長女で「いい子気質」もあり、甘えることも下手な幼少期を過ごしていた。

反面学校に行けない時間は楽しいことばかりを想像していたことが現在の現実化の力と直感力の元となる。(本来の楽観性はここで養われる)

未来予報のように不意に出る言葉が現実化することが多くなるが、父親から「そんな言葉は口にするな」と表現を抑えられてしまったのもこの時期。
(この時期の父への感情は結婚後に向き合うこととなる)

学校に普通に行ける事が私にとっては幸せな事でその後勉強は好きになりスポーツもできる子だとわかり少し自己肯定感が上がる。

学生時代は剣道から多くを学ぶ

中学から大学剣道部まで剣道一色の学生時代を過ごす。
高校では勝つ面白さを覚え始め、勝ちたい一心で授業中にイメージトレーニングを開始。その効果から剣道は上達し「無」になるゾーン体験ができるようになる。一方で授業は上の空で成績は急下降し受験勉強に苦しむことに。こんな環境の中でもイメトレを活用すると、シンクロが起きて受験1週間前に友人宅で手にとって開いた中原中也の詩が、第一志望校の国語の1題目に出題され、単純な私はイメトレ通りに入り合格!ここで内なるイメージの力を自覚し始める。

大学剣道部では夫と運命の出会い?(笑)
そしてゾーン体験は経験値を上げ剣道部最後の試合中に幽体離脱を体験。この体験から、試合への勝ちへのこだわりが一気になくなりあっさり剣道から離れる。剣道を通して「イメージの力」と「想いは叶う」を実感し身近なものとなる。

就職、看護師としてのキャリア形成

呑気な学生から一転、
がん病棟で死を目の前にする人に向き合う日々に。
人生半ばで他界する人を何人も見送り、
『人生』について考え始める。

その後「人生見送り役」に疲れ退職。実家の岡山に戻り産休代替で保健所に勤務。ここでは3歳児検診、親子教室、小児精神発達相談などに携わり親子関係の在り方について学び考える時間を持ち、家族関係が人生の基盤だということを知るきっかけとなる。(少しずつ今のキャリアに必要なことを学んでいく)

結婚後は山あり谷あり

アメリカ生活で間違うことへの恐れを手放す

結婚後、夫と共に渡米。
英会話ができず劣等感の中で生活が始まる。鬱々とした生活にも飽きてきて「間違えてもいいからいろんな会に参加しよう」と決意。
とにかく人と関わり英語を話す時間を持つ中でYMCAのクリスマス会で日本紹介ブースの企画を任される。折り紙体験が大好評で地元新聞に掲載されたことが縁で、その後茶道と華道の文化紹介の企画開催もする。

アメリカ生活では言葉を間違うことへの恐れを手放し、苦手なことにも多くの人の手を借りてチャレンジする大切さを学ぶ。

帰国後は嫁姑問題に直面

帰国するや否や妊娠による激しいつわりと嫁姑問題に直面する。
姑のモラハラに自己肯定感が一気に落ちていく。姑に自分の意見を言ったことが逆鱗に触れ勘当の身となり夫と共に実家を出る。ただ、夫の気持ちを考える余裕はその頃の自分にはなかった。事実上の同居は2ヶ月で終わったが、姑への怒りの感情が消えず苦しむ日々。
自分の怒りに「イカりん」と命名し話を始めたのもこの頃。
(当時は人に認めてもらいたい気持ちが強かったことに後になり気付く、現在は姑と和解)

 

妊娠中、光の至高体験から導きが始まる

家を出て2ヶ月で最愛の母方の祖母が急死。
お通夜の席で大きな白い光に包まれ感謝にあふれ涙が止まらなくなる至高体験をする。この空間が人のエネルギーの源だと知ったことから大きな人生の転機となる。

この至高体験後に改めて「自分に起きた現象と自分のこれからの生き方」を考え始める。
散歩で訪れた図書館で背表紙が光る本を見つけて読むとその時の疑問の答えがあるという体験をし、その都度光る本を読み漁るようになる。徐々に「生きること」「心の在り方」について学ぶ。ちょうどその頃、お腹の中にいる子が曽祖父と現れ挨拶をしてくれる夢をみて、男の子が生まれてくることを知る。そして長男を出産し子育ての日々へ。

流産の体験から解放への道はさらに続く

1995年、阪神大震災の直後に大阪に転勤。ここで2度目の妊娠をするが稽留流産となり、罪悪感で失意のどん底に。気分転換に参加した市の育児セミナーのワークで自分が父親に大きなわだかまりを持っていたことに気付き涙が止まらなくなる体験をする。と同時に体感イメージで高い壁が壊れた開放感を味わい、ここで人生初めてのカウンセリングを受ける。流産が自分にとって親子関係を解放するために起きたことだとわかり、罪悪感からも解放される。幼少期の寂しさや父の抑制に対するわだかまりもやっとここで解放される。カウンセリングにより自分を深く見ることの大切さを知る。その後次男を出産し、名古屋へ転勤となる。

私らしい働き方と子育てを模索し始める

子育てをする中でも、社会との接点を持ちたいと思い自宅でできる仕事を模索。幼少期からの趣味であったお菓子教室の師範をとり自宅で教室を開始。生徒は順調に増えたが、仕事と家庭の境界線がなくなり、家族にお菓子が作れなくなってきた自分に本末転倒だと感じるようになり一度教室を手放すことにする。

その直後に現在も指導を受けるメンターと奇跡的な出会いをする。そこから再度自分の生い立ちからの振り返りや思考の歪み、感情について、何年かかけて自分と向き合い始める。この頃から直感を使ったリーディングや前世療法・イメージ療法も行うようになる。また、この時期から子供を夫や両親にお願いして一人で海外を旅するようになる。五感を取り戻し、本来どんな人生を生きどんな仕事をしたいのかを家族と離れ自分と向き合い考え直す。

そんな頃に、小学校のPTAの依頼でアロマ講座をしたところからいろんな相談を受け始め、アロマトリートメントとカウンセリング取り入れた心のセッションを始める。

2009年人と向き合う経験を積むために再度社会に出ることを決意し大手通信会社の健康管理センターへ再就職。ここで多くの男性社員の話を聴く事でやっと夫の大変さが理解できるようになる。また家族のあり方が心身に大きく影響することも実感するようになる。

再就職から間もなくして今度は妹が病気で急逝。家族を失った喪失感の中で新しい仕事と、家事、子育てに追われ自分のことは全く後回しの日々が続きセッションは一時中止する。(この頃から体調に変化が出始め、自己免疫に左右される肝機能が徐々に上昇し始める)

その後落ち着いた頃に、自分のキャリアについてもっと成長したいと感じるようになりカウンセリングを再び本格的に学び直し、働き方を見直し転職を決意。グループ会社D社の健康相談室の採用に応募するが一度不採用となる。しかし、その会社に通勤する自分のイメージが消えないことから直感を信じ、他の採用は断るという不安な日々を送る。

2013年、結果的退職間際に産休代替でD社採用の話が舞い込みイメージ通りに就職。
そこから2年後また不思議な夢を見たことで自分の直感力、イメージ力、表現力を仕事で生かしていないことに気づく。程なくして職場の健康相談室閉鎖の話が突然浮上。流れの中で心と体にもう一度向き合い、枠を超えて今までの経験を活かしていくことを決意し2017年に健康相談室閉鎖と共に独立

自分も子どもも夢を叶える己子育て

キャリアを育む中で子育てでは2人の息子は自学中学受験で希望校に合格。私自身が生きる中で経験してきた「イメージに湧いたことはできる」「直感を信じて動く」「想いは叶う」を伝え続ける子育てをしていた。

その後息子たちは目標にしていたテニスの団体戦でそれぞれ全国大会に出場。大学受験も2人とも塾には行かず、高校の先生のお力を借りて自学受験。国立一校受験でそれぞれ第一志望校に合格。

もっと自分に優しく楽ちんに生きてみませんか?

私の半生は様々な出来事や悩みに直面しながらも、自分の役割と居場所を模索してきた日々でした。人生の節目節目で必ず神秘体験や不思議な夢をみて、何か事が動き始め、その都度カウンセリングやコーチングにより自分を整理しながら、自分の中のイメージを現実化できる潜在能力や目には見えない力にも守られている事を感じてきました。
それは本来私だけに限らず全ての人にある力です。そしてカウンセリングやコーチングは病んだ人のためだけに使うものではなく、もっと気楽に人生を振り返り、豊かにする為の作戦会議に使える事を多くの人に知ってもらいたいと感じています。子育てもキャリアも、もっと主体的に自分がどう生きたいのか?働きたいのかを考え、自分の中に湧く直感とイメージを大切に生きれば叶うものなのです。『自分の心も身体も大切に想いを叶える女性を増やし、家族も社会も笑顔に豊かにする』ことが私のライフワークです。

普段は家でボーっとすることが大好きなインドア派。
でも海外一人旅旅はやめられない。そしてカレーと餡子をこよなく愛すアラフィフ!